能登半島地震からまもなく2年。
全国災害ボランティア議員連盟の研修で、福井県の東角顧問、そして福井大学の酒井明子教授から、珠洲市の復旧・復興に向けた現場の取り組みについてお話を伺いました。
(酒井教授のお話は別記事にて)
被災地支援の現場に20年以上携わる東角顧問が語るのは、「支援とは物資を届けることではなく、声を聞くことから始まる」という原点です。
【多様な被害、繰り返される災害】
珠洲市はここ数年で何度も地震と水害に見舞われてきました。
令和6年1月の地震では震度6強を記録し、家屋被害541件、避難生活は今も続いています。
「珠洲市は“被災地の常連”と言われるほど、災害が繰り返されてきた。
だからこそ“受援力”が問われたのです。」
スライドには、地滑り・津波・液状化・土砂崩れなど、多様な被害を受けた地域が地図とともに示されていました。
被害は市内全域に及びました。
【被災したのは住民だけではない】
道路寸断、通信途絶、正月発災による帰省中の職員不在…。
行政もまた“被災者”でした。
「発災当日の市職員の参集はわずか20名。市そのものが機能不全になった。」
この事実が、「基礎自治体が被災した場合、誰が動くのか」という問いを突きつけます。
広域自治体や都道府県との連携、そして“平時の備え”の重要性が改めて浮き彫りになりました。
【ボランティアを“受け入れられない”現実】
支援の要であるボランティアも、現地ではすぐに受け入れられませんでした。
スライドに示された課題は、
①人の問題(職員不足)
②資源の問題(電気・水道・トイレ・燃料が使えない)
③交通の問題(主要道路が通行不能で、珠洲まで12時間以上)
「“助けてほしい”と思っても、受け入れる側が疲弊していたら支援は機能しない。」
これが、東角顧問が強調する「受援力(支援を受け入れる力)」の本質です。
【災害VCと連携団体の初動対応】
発災翌日の1月2日には「災害ボランティアセンター(VC)」を設立。
全国のNPOや市民団体、大学ボランティアチームなどが現地入りし、泥かき・物資運搬・温泉配給・炊き出しなど多様な活動が展開されました。
3月には協働の枠組みを再編し、「珠洲市災害NPO等連絡会」を発足。
25団体以上が参加し、医療・福祉・教育・外国人支援など、分野横断の連携体制が築かれました。
「支援の“主体”が一つではなく、繋がることこそ力になる。」
【ボランティア団体への助成制度と支援の継続】
福井県では災害ボランティア団体への助成制度を早期に立ち上げ
・宿泊費・交通費・燃料費・保険料などを補助
・活動内容に応じて補助率1/2または10/10
という仕組みを整えました。
この制度により、現地での継続的な活動が可能となり、「短期支援ではなく“伴走支援”」への転換が実現しました。
【支援者同士の連携が生んだ地域の力】
1月初旬支援団体が一堂に会して「第1回珠洲市災害NPO等連絡会」を開催。
現場の情報共有と課題整理が進められ、医療・教育・外国人・子ども支援など多様な分野が連携を開始しました。
「支援をつなぐ人がいることで、現場が見える化され、支援が続く。」
支援する人を支えるネットワークが、復興の原動力になったといいます。
【東角操顧問の言葉──“受援力は支援力の輪を膨らませる”】
最後に映し出されたスライドには、重なり合う円の図。
“外部支援でできること”と“自分たちでできること”の境界を示したものでした。
「自分の限界を支援の限界にしてはいけない。
外の力を受け入れることで、支援の輪は大きくなる。」
被災地の“誇り”や“自立”を尊重しながら、他者の力を柔軟に受け入れること。
それが、これからますます求められる姿勢だと感じました。
【おわりに】
能登半島地震の被災地で続く復旧・復興の歩みは、
「災害対応は一過性ではなく、日常の延長線上にある」という事実を私たちに教えてくれます。
支援を“する側”“される側”という分断を超え
地域の中に支え合いの仕組みをつくること。
それが「受援力のあるまち」につながります。
行政・市民・議会がそれぞれの立場でこの学びを共有し、防災計画や地域連携の中に息づかせていきたいと思います。

