全国災害ボランティア議員連盟の研修として、能登半島の現場を訪れました。
被災からまもなく2年。
しかし現地は、決して「終わった災害」ではありませんでした。
🍃 浦上公民館にて(輪島市)
名物館長として知られる 喜田さん のお話は、報道では届かない「暮らしの記録」そのものでした。
- 高齢化率7割の集落で起きた地震と水害
- 公民館が“最後の公共施設”として残った現実
- 発災直後にビニールハウスが避難所となったこと
- 支援が“自立の妨げ”にもなる難しさ
- 行政対応と地域力のギャップ
- 「それでも住み続けたい」と願う人の思い
「ここに人が住んどるってことを、忘れたらあかん」
その言葉の重みを胸に刻み、私たちのまちの防災・支援・政策にもつなげていきます。
📍石川県輪島市 浦上公民館
🏛 輪島市役所・河崎部長から学んだこと
前・輪島病院事務部長であり、現在は健康福祉部長を務める 河崎さん からお話を伺いました。
「災害は“人がいない時”に起きるものなんです。」
お正月、夜間、休日——行政も病院も人がいない時間に災害はやってくる。
“その前提でBCPを作らなければ、何も機能しない”という言葉が深く胸に響きました。
震度7の地震で医療機能がゼロとなった輪島病院。
水もトイレも失われる中で、職員を守り、わずか113日で医療機能を回復させた努力。
そしてもう一つの教訓——
「福祉避難所」は“福祉施設”ではなく“避難所の一種”。
制度理解と運用の整備こそが命を守る基盤になることを学びました。
🌊 輪島市内を歩いて
案内してくださったのは、奥能登広域事務組合 危機管理官の 佐藤さん。
発災から約2年を迎える今も、街のあちこちに被災の痕跡が残り、一方で、人の営みが少しずつ戻りつつありました。
⚙️現地で見えた課題
- 仮設住宅の長期化と公営住宅整備の遅れ
- 公費解体後の土地活用の停滞
- 朝市再建の壁(権利・担い手・高齢化)
- 支援制度と“自立支援の難しさ”
支援とは「元に戻す」ことではなく、“これからの暮らしをどう描くか”——
地域の方々の言葉から、その視点を強く感じました。
🕊 珠洲市・福井大学 酒井明子教授/東角操顧問より
発災2日後に珠洲市へ入り、210日連続でボランティアバスを運行した当議連顧問の 東角操さん。
「支援は物資ではなく、“声を聞くこと”から始まる。」
その実践の言葉に、支援の本質を見ました。
さらに、福井大学 酒井明子教授 からは「災害関連死を防ぐための支援」についてお話を伺いました。
避難所だけでなく、在宅避難・独居高齢者・医療的ケア児家庭など“見えにくい被災”に寄り添うことの大切さを学びました。
「支援は1か月では終わらない。
心のケア、地域との再接続まで続けていくことが“復興”です。」
🌏 そして昨日、そして今日——
昨日は岩手・宮城で地震があり、津波注意報が出ました。
幸いにもほどなく解除されましたが、胸が締めつけられるような時間でした。
陸前高田の従兄弟たちの顔が浮かび、能登の方々の不安と重なります。
そして、今日も三陸沖で震度3の地震がありました。
幸い津波被害はありませんでしたが、私たちはいつも、自然災害と隣り合わせで生きています。
だからこそ、地域や立場を超えて協力し合い、「今できること」を積み重ねていくことが、未来を守る力になると感じます。
🕯 東日本大震災の記憶とともに
亡き母や祖母の生まれ故郷であり、従兄姉のいる岩手県陸前高田市・大船渡、青森県八戸市。
私にとって東北は、家族の原点であり、祈りの場所です。
2011年3月11日。
当時、3人の子どもたちは保育園と幼稚園に通っており、連絡が取れない不安の中で、先生方がしっかりと子どもたちを守ってくださいました。
母は自宅で、夫は日本橋から16時間歩いて帰宅。
私は東村山市役所におり、庁舎全体が大きく揺れ、職員のみなさんが市長の指示のもと迅速に避難誘導していた光景を今も鮮明に覚えています。
陸前高田の駅は流され、小友の線路はぐにゃりと曲がり、跡形もなくなりました。
あの日の衝撃、そしてその後に見た“人のつながりの力”。
あの時の思いがあるからこそ今回の能登研修では、「できることを一つずつ、今この時にやる」ことの大切さを改めて感じました。
被災地での経験を教訓に、これからも支え合い、備え合う社会を目指して歩みを進めていきます。
🔸結びに
「伝えてほしい。忘却の彼方にしないでほしい。」
——現地の方のこの言葉を、私は決して忘れません。
支援は、まだ終わっていません。現場の想いを届け続け、忘れさせないこと。
被災地の「今」に寄り添い、“誰かのそばに立つ政治”をこれからも続けていきます。
