


全国災害ボランティア議員連盟 能登研修レポート/輪島病院と福祉避難所の現実から学ぶ
- はじめに
2025年11月5日、能登半島地震からまもなく2年。
全国災害ボランティア議員連盟の一員として、私は石川県輪島市を訪れました。
能登半島地震の被災地で、今も行政と地域がどのように復旧・復興に向き合っているのか。
その実情を現場で学ぶための研修でした。
輪島市役所でお話をくださったのは、前・輪島病院事務部長であり、現在は福祉部門を統括する河崎部長。
医療・福祉・行政を横断して被災地の中枢を担った方です。
講義の冒頭、河崎部長が放った一言が強く心に残りました。
「災害は“人がいない時”に起きるものなんです」
その言葉は、災害対応を制度や備蓄の問題ではなく、行政構造と人の限界を超える覚悟の話として捉え直すきっかけになりました。
- 「被災自治体は、人がいない中で災害対応を迫られる」
能登半島地震の発災は、2024年1月1日午後4時10分。
正月三が日、行政も医療機関も多くの職員が不在の元旦でした。
阪神・淡路大震災は早朝、熊本地震は深夜、そして能登は正月。
災害は、最も人がいないタイミングを狙うかのようにやってきます。
「“人がいない災害”を前提にBCPを作り直さないと、何も機能しない」
河崎部長のこの言葉が、被災自治体の現実を象徴していました。
輪島市役所の庁舎も被災し、今なお補修が続いています。
行政の原則として、市民生活の場を優先して復旧するため、役所は後回しに。
道路の寸断、人材の流出、情報遮断。
被災自治体は“人がいない中での対応”を迫られるのです。
- 輪島病院が直面した現実
震度7の地震。
断水と排水機能の停止により、病院は瞬く間に“医療機能を失った建物”へと変わりました。
「病院は水があるから病院。
水が止まれば、病院は“避難所兼倉庫”になります」
輪島病院では、入院患者約100名、避難者約100名が一時的に混在。
医師の多くは帰省中で、夜勤体制も最小限。
診療は不可能となり、病院は一時的に避難所として人々を受け入れました。
さらにトイレ問題が深刻化。
断水による衛生悪化、感染リスクの高まり、排泄支援の困難さ。
そんな中、発災4日後にトイレトレーラーが到着し、状況が一変しました。
「トイレが使えるだけで、人は食べられるようになる。あの瞬間から空気が変わりました」
病院はその後、わずか113日で医療機能を完全復旧。
その裏には、「職員を辞めさせない」という河崎部長の強い信念がありました。
仮設宿舎・託児スペース・カーシェア導入・給与保障など、職員の生活を守る支援策を次々に打ち出した結果、退職者を抑え組織の崩壊を防ぐことができたのです。
「災害対応は“設備”ではなく“人”です。人がいなければ、何も始まらない」
- “福祉避難所”の誤解
「福祉避難所」という言葉を耳にすると、多くの人が“福祉施設そのもの”をイメージします。
しかし、河崎部長の講義ではその誤解が明確に正されました。
福祉避難所は、災害救助法に基づく避難所の一種であり、“福祉サービスを提供する場”ではなく、“要配慮者が安全に過ごすための避難環境”を指します。
対象となるのは、
・一般避難所での生活が困難な高齢者や障がい者
・医療的ケアが必要な方など
つまり、特養やグループホームの入所者全員が対象ではないのです。
「福祉避難所=福祉施設ではない」
誤解のまま運営すると、「制度外の支出」とみなされ、後に返還請求の対象になることもあるとのこと。
- 法制度と実務のズレ
災害現場では、「善意で受け入れた」行為が後に問題化するケースが多くあります。
災害救助法に基づく経費は、会計検査院が精査。
「箸一本まで指摘される。だから制度を知らないままでは、善意が損害になる」
善意と制度の間には、常に緊張関係があります。
だからこそ、制度理解を深めることが、被災者だけでなく、支援する側を守ることにもつながるのです。
- 復旧は“道路と人材”から
輪島市の市道補修費だけで、約3,000億円規模。
旧門前町では高齢化率が60%を超え、住民の移動や生活再建もままならない状況です。
「道路が戻らなければ人も戻らない。人が戻らなければ職員も確保できない」
被災自治体では数十名人の職員が退職し、同数の応援職員が派遣されているとのこと。
人の移動と道路の復旧は、まさに表裏一体です。
- 教訓と今後の課題
能登の現場から見えたのは、
「BCP(業務継続計画)」が“人・水・道路の喪失”を前提に設計されていない現実でした。
学んだ教訓:
1️⃣ BCPは“人がいない時に起きる災害”を前提に作る
想定を変えなければ、対策は機能しない。
2️⃣ 福祉避難所は“福祉施設”ではなく“避難所”として捉える
制度理解が支援の継続性を左右する。
3️⃣ 「人を守る仕組み」を整えることが災害対応の第一歩
職員を守れなければ、行政も医療も動けない。
自治体の災害対応は、設備や備蓄ではなく、“人と制度の両輪”でしか成り立たない。
そのことを、能登の現場がはっきりと教えてくれました。
- 終わりに
能登の空気には、静かな覚悟がありました。
復興はまだ途中でありながら、人々の中には「次に備える」という前向きな意志が息づいていました。
「復旧が終わっても、復興は始まったばかり」
被災地の学びを“自分のまち”やそれぞれの周りへ還すこと。
それが、現地に立たせていただいた者の務めです。
現場で出会った河崎部長をはじめ、被災地で今も働き続ける皆さんに、心から敬意を込めて
