全国災害ボランティア議員連盟で
令和5年10月25日(水)~10月26日(木)に福島に研修に行ってきた。
防災や減災、復興支援に関する調査研究を行い、それぞれの議会での活動に役立て、地域防災力の向上に資すことを目指している、全国の超党派の議員による全国災害ボランティア議員連盟にて、震災遺構浪江町立請戸小学校、東日本大震災・原子力災害伝承館、福島第一原子力発電所、中間貯蔵施設の視察研修に参加してきた。
東日本大震災から今年の3月11日で12年が経つ。
まずは、震災遺構の福島県請戸小学校を訪れた。
1人も児童の犠牲者を出さなかったのは311大震災3日前の地震があった時に先生や子どもたちが予め震災時の避難行動を振り返り、情報を共有していたからだということを何度もニュースや様々なところで聞いていたことを改めて、当事者や伝承される方からお聴きし、震災遺構の小学校を視察すると、その被害の甚大さを思った。
続く東日本大震災・原子力災害伝承館においても、当時の被害の状態をリアルに近い状態で振り返り、決して忘れずに、思い出し、お伝えすることの大切さを痛感する。
移動中のバスの中でも全国から集まる議員間で思いや考えを共有しあい、伝承館そばの宿泊地に荷物を置き、作業されている方々と同じ食堂で夕食のカレーを頂いた。
宿泊地から外に出て福島の山々に囲まれた双葉町を眺めると、復興が進みつつあることを感じながらも、それでも戻れない、戻る気になれない町民の方々の思いをいかように私たちは受け止め、伝え、繋ぐことができるのかを考える。
翌朝は、福島県大熊町双葉町の中間貯蔵施設と福島第一原子力発電所に行く。
東京電力福島第一原子力発電所事故の後に行われた除染作業によって発生した除去土壌などを、一時的に保管する施設である中間貯蔵施設。
福島県内の除染作業で出た汚染土壌などの放射性廃棄物のうち、最終処分場におさめるまでの「30年間」、集中的に保管、処理、管理するのが、福島第一原発を取り囲むように広がる「中間貯蔵施設」である。バスから降り立つと、蝶々が飛んでおり、日差しは柔らかだった。その広さを実感。
そして福島第一原子力発電所に。4年前に立憲民主党自治体議員仲間で訪れさせていただいた時以来。
東日本大震災の説明にあたる東京電力の方々は、こんな事故を起こし大変申し訳ありませんと何度も何度も話されているのは、4年前も今も変わらない。過信していたと。
変わったのは、4年前は頭も身体も靴も、白い不織布で覆い、その上から鉛の入ったベストを着用したのが、今回はベストのみと軽装に。
1号機から順に見ていく。2号機は水素爆発をしなかったが、放射性物質が濃度高く残っている様子を調べるため、遠隔操作の重機やロボットによって中の様子の確認がなされる。
3号機、4号機は使用済み燃料の取り出しが完了し、5号機、6号機の燃料取り出しがまだ残っている。
「汚染水」や「ALPS処理水放出」などニュースになっているが、溶けた燃料等が冷えて固まった燃料デブリを冷やすための水が燃料デブリに触れることで、放射性物質を含んだ「汚染水」になる。
日々発生する汚染水はセシウムとストロンチウムを取り除き、塩分を除去、一部を原子炉内に殘る燃料デブリを冷却するのに使用し、その他は「多核種除去設備(ALPS)」という装置でトリチウム以外の大部分の放射性物質を取り除き、安全基準を満たすまで浄化処理され保管されているそうだ。
原子力規制委員会で認可された60種類ほどの放射性物質を放出する場合、それぞれ濃度が定められており、ALPSでは告示濃度限度未満まで除去できるとのことで、海に放出されたとのこと。
質疑応答でもその安全性について多く質問がなされた。
体内放射線量を測定し発電所を後にした。
今回の研修には、国土交通大臣政務官を務めた、全国災害ボランティア議員連盟会長の谷公一衆議院議員も2日目の全ての研修に同行してくださったことで、復興庁の資料を元に、移動中のバスの中や各施設で説明があった。また各施設の職員の方々、事務局に大変お世話になり、決して過去を忘れずに、伝え続け、これからの震災や災害対策をさらに平時から準備しておくことの必要性をますます感じた。
3.11の記憶を風化させないために毎年3.11に東日本大震災の写真展屋DVD映像展を市役所庁舎一階ロビーで実施をするなど、伝え続けていくことの必要性を考えた。